2011年03月13日
その時、新幹線で、、
今回の地震は、ただただ、これが現実なのか、、と、、
眼を疑わせる光景を、見せています。
これから書くようなことは、自然の脅威にさらされ、
自分の意思とは全く違う経験を強いられている多くの人に比べたら、些細なことでした。
今日は、当地でも平穏に粗大ごみの収集があり、立ち会いました。
周囲を見ても平穏です。
申し訳ないように。
今回の地震のとき、前に書いたのですが、新幹線に乗っていました。
15:10の予定を繰り上げ、14:40。
仮に変更しなかったら、どうだったでしょうか。
名古屋で釘付けだったか?
結果的には、品川まで6時間遅れとは言え、到着できて幸いだったかと、、。
眼を疑わせる光景を、見せています。
これから書くようなことは、自然の脅威にさらされ、
自分の意思とは全く違う経験を強いられている多くの人に比べたら、些細なことでした。
今日は、当地でも平穏に粗大ごみの収集があり、立ち会いました。
周囲を見ても平穏です。
申し訳ないように。
今回の地震のとき、前に書いたのですが、新幹線に乗っていました。
15:10の予定を繰り上げ、14:40。
仮に変更しなかったら、どうだったでしょうか。
名古屋で釘付けだったか?
結果的には、品川まで6時間遅れとは言え、到着できて幸いだったかと、、。
新幹線では、発車して数分後に地震でした。
止ったかと思うと、揺れが来て、、。
皆冷静でした。
揺れてる、、、。
しばらくして、大きな地震があったことが車内放送でも流れ、
多くの人は、携帯電話などで、状況の確認を始めます。
メールをする人も、、。
その後、安全確認まで2時間と、、。
これは、ひょっとすると、やばいのか、、。
その当たりでは、もしかしたら、今日中には、東京へ、そして自宅には、
帰れないかもしれないと、、。
家とも連絡して、そのようなことを話しておきます。
山梨でも相当に揺れたようでしたから、
家族の心の動揺、精神的なストレスが大きいようでした。
しばらくして、ようやく、浜松まで移動。
動くことは良いことです。
気分がすっきりとします。
浜松駅では、ホームに横付けではなく、いわゆる追い越し車線というのか、、
浜松では、ホテルを会社が取ってくれていましたが、安全上、運行上、
乗客を外には、出さないでしょうから、浜松のホテルには泊まることはないだろうと、、
車内では、長期の停車に備えて、自分でも水分確保。
さらに長期化しそうで、食べ物を確保しようしたら、
時既に遅く、食べるものを売り切れていました。
仕方なく、糖分の入っている飲料も確保。
わたしも一度、車内を歩き回り、グリーン車で、名古屋グランパスの
選手も見ましたし、多くの人も食料を、飲み物を求めて車内を移動します。
浜松駅の追い越し車線に停車してから4時間ほどして、ようやく出発。
新幹線の速さ、ありがたさを感じて、掛川に臨時停車。
今度は、ホームに付け、ドアも開き、今後の運行状況がわからないので、
大阪方面に戻りたい人は、こだまに乗り換え可能と、、。
そういう方もいました。
かけです。
我々は浜松で4時間も待って、やっと掛川まで来たし、次の停車駅は、新横浜
ということなので、そのまま待つことに。
安全確認もありますから、JRを責めるわけには、行きませんが、
もう少し、具体的な情報は、車内で欲しいですね。
車内では多くの人が携帯、スマートフォーンで続々と情報を入手。
ただ、まだまだ初期の情報で、断片的で、実感が湧かないのです。
確かにワンセグで、いくつかのチャンネルをはしごして、
凄い地震だった津波も来るな、、そんなことは、理解しますが、
実感がないのです。
車内という狭い空間の限界でしょうか、、、。
既に数時間、車内に閉じ込められ、状況もお互いに理解しているので、
座席で携帯で話す人も多かったですね。
この頃には、東京の交通も麻痺していることがわかりました。
次第に自宅に帰れることはあきらめます。
そして、掛川からようやく、のぞみが動きますと、
速い、速い、、。
ありがたいです。
途中で、多少の徐行はありましたが、新横浜。
そして品川、、。
その時までには、既にたくさんの情報が入っていましたが、
車窓からは、自宅に歩いている人がたくさん見えました。
それでも、ワンセグで眼にしていた光景に対して、
東京の街が普通に見えていたことに、安堵の気持ちを抱いて
いたことも確かです。
品川駅に滑り込んだ電車から、ホテルまでわずかですが、
たくさんの人がいて、なかなか先に進めない状況。
電力供給の不安か、品川駅も何となく暗く、エスカレーターもストップ。
それでも何とか、ホテルにチェックインしてほっとするのでした。
地震の大変さを実感したのは、人があふれる駅の光景、
あふれるばかりのホテルに退避しているひと、
そうした光景を眼にしてからでした。
止ったかと思うと、揺れが来て、、。
皆冷静でした。
揺れてる、、、。
しばらくして、大きな地震があったことが車内放送でも流れ、
多くの人は、携帯電話などで、状況の確認を始めます。
メールをする人も、、。
その後、安全確認まで2時間と、、。
これは、ひょっとすると、やばいのか、、。
その当たりでは、もしかしたら、今日中には、東京へ、そして自宅には、
帰れないかもしれないと、、。
家とも連絡して、そのようなことを話しておきます。
山梨でも相当に揺れたようでしたから、
家族の心の動揺、精神的なストレスが大きいようでした。
しばらくして、ようやく、浜松まで移動。
動くことは良いことです。
気分がすっきりとします。
浜松駅では、ホームに横付けではなく、いわゆる追い越し車線というのか、、
浜松では、ホテルを会社が取ってくれていましたが、安全上、運行上、
乗客を外には、出さないでしょうから、浜松のホテルには泊まることはないだろうと、、
車内では、長期の停車に備えて、自分でも水分確保。
さらに長期化しそうで、食べ物を確保しようしたら、
時既に遅く、食べるものを売り切れていました。
仕方なく、糖分の入っている飲料も確保。
わたしも一度、車内を歩き回り、グリーン車で、名古屋グランパスの
選手も見ましたし、多くの人も食料を、飲み物を求めて車内を移動します。
浜松駅の追い越し車線に停車してから4時間ほどして、ようやく出発。
新幹線の速さ、ありがたさを感じて、掛川に臨時停車。
今度は、ホームに付け、ドアも開き、今後の運行状況がわからないので、
大阪方面に戻りたい人は、こだまに乗り換え可能と、、。
そういう方もいました。
かけです。
我々は浜松で4時間も待って、やっと掛川まで来たし、次の停車駅は、新横浜
ということなので、そのまま待つことに。
安全確認もありますから、JRを責めるわけには、行きませんが、
もう少し、具体的な情報は、車内で欲しいですね。
車内では多くの人が携帯、スマートフォーンで続々と情報を入手。
ただ、まだまだ初期の情報で、断片的で、実感が湧かないのです。
確かにワンセグで、いくつかのチャンネルをはしごして、
凄い地震だった津波も来るな、、そんなことは、理解しますが、
実感がないのです。
車内という狭い空間の限界でしょうか、、、。
既に数時間、車内に閉じ込められ、状況もお互いに理解しているので、
座席で携帯で話す人も多かったですね。
この頃には、東京の交通も麻痺していることがわかりました。
次第に自宅に帰れることはあきらめます。
そして、掛川からようやく、のぞみが動きますと、
速い、速い、、。
ありがたいです。
途中で、多少の徐行はありましたが、新横浜。
そして品川、、。
その時までには、既にたくさんの情報が入っていましたが、
車窓からは、自宅に歩いている人がたくさん見えました。
それでも、ワンセグで眼にしていた光景に対して、
東京の街が普通に見えていたことに、安堵の気持ちを抱いて
いたことも確かです。
品川駅に滑り込んだ電車から、ホテルまでわずかですが、
たくさんの人がいて、なかなか先に進めない状況。
電力供給の不安か、品川駅も何となく暗く、エスカレーターもストップ。
それでも何とか、ホテルにチェックインしてほっとするのでした。
地震の大変さを実感したのは、人があふれる駅の光景、
あふれるばかりのホテルに退避しているひと、
そうした光景を眼にしてからでした。
Posted by Y-chan at 11:20│Comments(0)
│自分、家族のこと
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